伊勢神宮 御木曳(おきひき)車

当店に大変貴重な伊勢神宮 御木曳(おきひき)車をご縁あって特別な期間内に神棚に飾られいただいておりますのでご興味のある方はご来店下さい。

御木曳車とは、式年遷宮で用いられる檜の用を、伊勢神宮の 内宮・外宮に運び入れる為の引き車である。

式年遷宮は、二十年に一度、正殿を始めとする殿舎と御装束神宝を新たに造り替 え、大御神に新宮へお遷りいただくお祭りで、九年の歳月をかけ三十三のお祭り と行事を重ねて行います。

弐年遷宮の祭式には「神木の祭り」「神殿建築の祭り」「神遷しのお祭り」があります。

「神木のお祭り」の祭式の中に御木曳行事(一次・二次)があり、一次は地元の 神領民のみですが、二次のみ御遷宮に特別神領民として一般の方も参加し奉曳で きる数少ない行事の一つです。

領民は、年貢の義務がない代わりに遷宮での労役提供が課せられていたといわれる。、 文献に「神領民の奉仕の気持ちから始まった。」という記述がみられ、強制ではなかった。

式年遷宮で用いられる檜の用材を、内宮用材は橇(そり)に積み五十鈴川を遡り内宮境 内まで曳き上げ(川曳:かわびき)、外宮用材は奉曳車に積み宮川河畔より伊勢市内を 通り外宮境内まで曳く(陸曳:おかびき)のが基本的な方法である。

式年遷宮の初期の頃には、用材の運搬は律令制下の何らかの課役であったと思われる が確かな記録は残っておらず。 中世以降、神宮に与えられた所領(神領地)の住民(神民たとも言われている。

 記録の上では、第 40 回内宮式年遷宮において、『寛正三年造内 宮記』1452 年木遣歌の記載があるのが最も古いものである。 また江戸時代には装飾や催しが華美に過ぎるとして取締りがなされたとの記録があり、既に課役というより祭礼化 していたものと思われる。

式年遷宮の初期の頃には、用材を伐り出す御杣山(みそまやま)は神宮背後の神路山(内宮)高倉山(外宮)であったため当然前述のコースとは異なると思われるが、詳細は不明である。

御杣山が大杉谷にあった第 46 回式年遷宮の 1682 年催行の御木曳は、両宮とも勢田川小田橋から陸曳したという記録が残っている。 御杣山が木曽谷(美濃国・ 信濃国)に移り、伊勢湾を海運されるようになった第 47 回式年遷宮御木曳は1702年降、現在のコースをとるようになった。

このように用材を伐り出す御杣山自体が移動変更になることから大量の木々が必要となるその本数は約 1 万本とも言われております。

それゆえに「木曽五木と言われる銘木五種(ヒノキ・アスナロ・サワラ・ネズコ・コウヤマキ)のうち 4 種がヒノキ科というのも御神木の用材としての必要価値として認定されたものとされる可能性は高いと思われます。

その檜を運ぶ奉曳団は奉曳の主体であり、その所在地により内宮領と外宮領に分かれ る。 概ね内宮に近い宇治地区や五十鈴川(派川)流域が内宮領であり、外宮に近い旧伊勢市街地(山田地区)や旧御薗村が外宮領であるが、歴史的な経緯から例外もある。

用材の運ぶ檜の形状は丸太である御樋代木奉曳式を除き、神宮の工作場で外皮を 剥いだ物を用る。

御樋代木は、ご神体を納める御樋代の用材である。

これのみ木曽山中から伐り出された 用材をそのまま奉曳する。用材を「御神木(ごしんぼく)」と呼ぶことがある。 御樋代木のみをそう呼ぶことが多いが、 全ての用材をそう呼ぶ人もいる。 単に「御木(おき)」と呼ばれることもある。

心御柱、御船代、仮御樋代に用いられる用材は、奉曳されない。 一つの橇または奉曳車に積まれる用材の本数は、1 – 3 本である。 (御樋代木・役木・扉木・棟持柱は各 1 本である。(月讀宮の役木を除く。明治年間には、1 台の奉曳車に 40 本以上の用材を積んだという記録が残っている。

次の弐年遷宮は 2033 年になるので 2024 年から行われます。興味のある方は日程を調べて 参加されてはいかがですか。

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